一学期の終わりに思うこと
8月末にカナダに来たと思ったら、もう年末の帰国が目前です。
今回のおはなしは多分まとまりの悪い懺悔に近い内容になるので、気分を害するかもです。
記事を見返して気づいたんですが、最近このブログがただの日記になってるんですよね…
UWCに行くことが自分の人生のためになるのかどうか悩みに悩んだのに、いざ来てみると目の前の宿題やら娯楽やらに留学生活の4分の1を費やしてしまったことが、かなりショックでした。
なので今回は少し趣向を変えて、ピアソンが期待していた通りの環境であったか、自分がそれを十分に活かせたかをダラダラと振り返っていこうと思います。
UWCに期待していたこと
僕は国際問題への強い関心があったとか、そういう特別”高い意識”のために留学を決意したわけじゃないです。
ただ理科に興味があって、でも日本に特別やりたい仕事があるわけでもなくて、勉強や仕事をする上で海外の”優れた”環境に漠然とした憧れがあったというのが正直な理由です。
あと、社会問題の議論とか自然の中での運動とか、日本に居たら自分がしなさそうなことを10代で経験してみたかった。
そしてこういう憧れのきっかけは、どこからか留学関連の情報を集めてきた母でした。
UWCの生徒には、海外での在住経験があったり、複数の国にルーツを持っていたり、国際学校に通っていたりした人が本当に多いです。
半年前の僕には誇張抜きに恐れ多い場所でした。そういう経験こそが生徒の”スペック”だと思っていたからです。
でも逆に言えば、こういう環境的な要因なしに世界に関心を持つことって本当に難しいんです。”UWCらしい”学生を悪く言うつもりはないけど、”普通の”高校生にとってのハードルは当然彼らのそれより高い。
だから、留学に興味があるけど理由がうまく言い表せないという人、それは決して国際経験豊かな人に対して劣等感を抱く理由にならないと声を大にして言いたいです。
(蛇足だけど、欧米の生活様式に慣れていることが国際人の条件でもないしね)
話が大脱線しました。
要は自分も海外でのキャリアに抵抗を持たないような人間になりたいというのが望みだったわけです。
UWCで実際に得たと思うもの
結論から言うと、先に述べた目的は最初の数週間で達成されました。
言語や見た目、慣習が異なる人と対等に会話することに違和感を覚えるのは(今になって思えば)ほんの少しの間だけです。
そして暇さえあれば日本文化に触れて正気を保っていたこの期間に、一番の収穫があったと思います。
良い悪いは置いといて、人間世界のどこにいてもそこまで変わらないということ。全く違う環境を求めて異国の地に来たはずが、お互いの共通点に感動するのでした。
そしてそのあとは、感覚的には日本の学校とさほど変わらない日々です。
気が合う人の間でグループが形成されて、たわいのない話をして、寝食を共にする。それが同じ国の人であろうがなかろうが、その差が特別な成長をもたらすわけではありません。
ふと思いついて書き始めたら、思いの外長くなってしまいました。
唐突だけど、今夜はこの辺りで
つづく